西暦1127年 - 南宋の建国

北方民族の侵入で北宋が滅ぶ
南宋の建国
南宋の建国
南宋の時代、ヴェトナムから導入した米の新品種により二毛作・二期作を実現するとともに、羅針盤を備えた外洋船で海上貿易も栄えた。こうして豊かになった南宋は、その財力によって辛うじて北方民族の侵入を防いでいた。
南宋では対金政策をめぐって議論が起こったが、和平派が勝利して、多額の貢納と引き替えに和約が結ばれた。

また、朱熹 (しゅき) が儒学を整理し、朱子学を創始する。
朱子学は「万物の根源は理と気にある」という世界観のもと、四書(「大学」「中庸」「論語」「孟子」)を重視した。朱子学は鎌倉時代の日本に伝わり、武士に受け入れられ、江戸時代には幕府の正式な学問となる。
朱熹は科挙官僚だったが、仕事を嫌い、名目上の職について学問に没頭することを望んだ。
たいへん身勝手な男で、学説と行動は必ずしも一致しないものである。
なお、北宋滅亡に先だって、契丹族の遼も滅んでいる。
遼の皇族だった耶律大石 (やりつたいせき) は、西へ逃れて西遼を建て、セルジューク朝を破って、中央アジアに覇権を築いた。

目次

金との勢力争いと紹興の和議

岳飛と秦檜
主戦派・岳飛と和議派・秦檜(イメージ)
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金の侵攻に対し、南宋の朝廷では岳飛 (がくひ) ら主戦派と、秦檜 (しんかい) ら和議派が対立した。岳飛は1140年(保延6年)に北伐を起こして開封近くまで攻め込んだが、金との講和を優先する秦檜は、翌1142年(永治2年)、岳飛に謀反の罪を着せて処刑した。実権を握った秦檜は同年、金との和議をまとめる。
和議では、淮河 (わいが) 大散関 (だいさんかん) を境界線とし、南宋が金に対して臣下の礼をとって毎年、銀25万両と絹25万匹を歳幣として贈ることが定められた(紹興の和議)。この和議によって南宋と金の間に長期的な勢力均衡が成立し、以後、南北の対峙は約100年続くことになる。

周辺諸国への影響

日宋貿易
博多で栄えた日宋貿易(イメージ)
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陸のシルクロードが金の支配下に入ったため、南宋は東シナ海・南シナ海を通る海上交易網(海のシルクロード)を大きく発展させた。とくに日宋貿易 (にっそうぼうえき) では、平清盛 (たいらのきよもり) ら平氏政権が博多や大輪田泊(現在の神戸港)を整備して瀬戸内海航路を掌握し、貿易の利益で栄華をきわめた。宋銭の大量流入は日本の貨幣経済の発展を促した。
高麗もまた南宋との交易・文化交流を活発化させた。一方、金が南宋との国境維持に力を割いたことで、モンゴル高原の遊牧諸部族への統制がゆるみ、これがのちのモンゴル帝国台頭の一因になったとされる。

後世への影響

会子(南宋の紙幣)
流通した紙幣・会子(イメージ)
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朱熹 (しゅき) が大成した朱子学は、日本の江戸幕府の官学となっただけでなく、李氏朝鮮でも国家の正統な学問として採用され、東アジア各地の政治・倫理観に長く影響を与えた。また、南宋では会子 (かいし) と呼ばれる紙幣が1161年(永暦2年)から流通し、銅銭の大量供給や水運の発達とあわせて商業経済と都市の市民文化が成熟した。
南宋の豊かな経済力と巧みな防衛戦術は、モンゴル帝国(元)の南進を長期間にわたって阻んだ。しかし1279年(弘安2年)、崖山の戦い (がいざんのたたかい) で敗れ、幼帝とともに多くの重臣が入水して南宋は滅亡し、中国全土は元に統一された。

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