西暦1668年 - スウェーデン国立銀行の開業

世界初の中央銀行
スウェーデン国立銀行本店
スウェーデン国立銀行本店
1668年(寛文8年)9月17日、スウェーデンの身分制議会が新しい銀行の設立を決議し、スウェーデン国立銀行(Sveriges Riksbank)が生まれた。前身のストックホルム銀行が紙幣を出しすぎて破綻したことを受け、国王ではなく議会が直接監督する銀行として出発した点に特徴がある。現在まで途切れずに続いている中央銀行としては世界最古である。
設立時の名前は Riksens Ständers Bank で、「国会諸身分の銀行」という意味である。日本語では国立諸階級銀行とも訳される。現在の Sveriges Riksbank という名称になるのは、1866年(慶応2年)になってからである。

ただし「世界最古の中央銀行」という言い方には注意がいる。正確には現存する中央銀行のなかで最も古いという意味である。設立当初のリクスバンクは、銀行券を独占して発行する権利も、金融機関が危なくなったときに資金を貸す最後の貸し手の役目も持っていなかった。ヨーロッパにはそれ以前にもバルセロナのタウラ・デ・カンビ(1401年)やアムステルダム銀行(1609年)といった公共の目的をもつ銀行があったが、いずれも現在は残っていない。

目次

運ぶのが大変だった銅のお金

板金貨(プレートマネー)を運ぶ様子
10ダーレルの板金貨は約19.7キログラムある
AI生成コンテンツ / AI-generated content
17世紀のスウェーデンは銀に乏しく、代わりにファールンの大銅山などで産するが豊富だった。そこで銅を貨幣にしたが、銅は銀にくらべて価値が低いため、大きな金額を表そうとすると途方もない大きさになってしまう。1644年(寛永21年)からアヴェスタなどで作られた板金貨 (ばんきんか) (プレートマネー)は、長方形の銅板の四隅と中央に刻印を打っただけのものだった。
最大額面である10ダーレル銀貨相当の板金貨は、およそ30センチ×70センチ、重さは約19.7キログラムある。10キロの米袋2つ分に近い重さで、流通のために作られた硬貨としては世界最大とされる。1644年(寛永21年)から1655年までに約25,500枚が作られたが、現存するのは7枚だけである。

これを買い物のたびに持ち歩くわけにはいかない。実際には板金貨を倉庫に預け、預り証を受け取って、その紙をやりとりする使い方が広がっていった。板金貨そのものは1776年(安永5年)まで作られ続けた。

ストックホルム銀行と世界初の紙幣

ストックホルム銀行の窓口で信用証券を受け取る場面
重い銅板の代わりに紙が手渡された
AI生成コンテンツ / AI-generated content
1656年(明暦2年)11月30日、国王カール10世グスタフは、リガ生まれの商人ヨハン・パルムストルク(1611年~1671年)に2通の特許状を与え、ストックホルム銀行(Stockholms Banco)の設立を認めた。為替を扱う部門が1657年(明暦3年)7月に、貸し付けを扱う部門が1659年(万治2年)初めに開業する。形の上では民間銀行だが、利益の半分が国庫に入り、関税や消費税の納付も扱う、半ば公的な銀行だった。
1660年(万治3年)、政府が新しい銅貨の銅の含有量をおよそ17パーセント減らした。すると手元の古い銅貨は、お金として使うより地金として売るほうが得になる。預金者が銅貨の引き出しに殺到し、銀行は資金繰りに行き詰まった。

そこでパルムストルクが考え出したのが、1661年(寛文元年)7月16日に発行を始めた信用証券 (しんようしょうけん) (kreditivsedlar)である。これはヨーロッパで最初の銀行券であり、単なる預り証ではなく、銀行自身が支払いを約束する紙だった。重い銅板を動かさずに支払いができるため、たちまち広まった。なお1661年(万治4年)に発行された分は1枚も現存せず、今日よく知られている実物は1666年(寛文6年)に発行されたものである。

しかし銀行は、裏付けとなる銅や銀の量を超えて証券を出し続けた。1663年(寛文3年)の秋には証券の値打ちが下がりはじめ、額面より安く買い集めて銀行に持ち込む動きが起きる。1664年(寛文4年)、銀行は引き換えに応じられなくなって業務を止めた。清算は1667年(寛文7年)に終わり、パルムストルクは死刑判決を受けたのち減刑され、1670年(寛文10年)まで牢につながれ、翌1671年(寛文11年)に世を去った。

議会が管理する銀行の誕生

身分制議会での銀行設立の議決
王ではなく議会が銀行を監督することになった
AI生成コンテンツ / AI-generated content
後始末をした議会は、銀行そのものをやめてしまうのではなく、監督する主体を国王から議会に移すという道を選んだ。1668年(寛文8年)9月17日にリクスダーゲンが設立を決議し、9月22日付で銀行の規約が定められる。国王の一存で公金が使われることを防ぐしくみだった。当時の国王カール11世は12歳で、摂政による政治が行われていた。
新しい銀行は、ストックホルム銀行の資産も負債も引き継がなかった。そして規約は銀行券を発行することを禁じた。乱発が破綻を招いたという反省からである。業務は預金の受け入れと貸し付けに限られ、紙幣を出す銀行としてではなく、堅実な預金・貸出の銀行として再出発した。

「君主ではなく議会に責任を負う」というこの形は、のちの中央銀行が備えることになる政府からの独立性の原型と見ることができる。ただし、金融政策の運営や最後の貸し手といった現代の中央銀行の役割を担うようになるのは19世紀以降であり、1668年(寛文8年)の時点でそれらがそろっていたわけではない。日本銀行の解説も、中央銀行の機能は長い歴史のなかで少しずつ加わってきたものだと整理している。

西欧経済への影響

スウェーデンの経験がヨーロッパに示したことは2つある。1つは金属を運ばなくても紙で支払いができるということ、もう1つは裏付けを超えて紙を出せば紙は紙くずになるということである。前者を実証したのは前身のストックホルム銀行であり、後者はその破綻が身をもって示した。

金属を動かさずに決済するしくみ自体は、スウェーデンが最初だったわけではない。1609年(慶長14年)に設立されたアムステルダム銀行は、口座間の振り替えによって同じことを実現していた。スウェーデンが新たに加えたのは、持ち運べる紙という形と、議会が銀行を監督するという統治のしくみである。

一方で、1668年(寛文8年)のリクスバンク設立が西欧各国の金融制度をどう動かしたかを示す同時代の記録は多くない。スウェーデンの通貨制度もこのあと順調だったわけではなく、18世紀から19世紀にかけて、兌換の停止と再開を何度も繰り返している。この銀行が「議会に責任を負う公的な銀行」という先例を残したこと自体を評価するのが、事実に照らして無理のない見方である。

その後の歩み

1701年(元禄14年)、リクスバンクは transportsedlar と呼ばれる証券の発行を認められた。持ち主が使うたびに自分の名前を裏書きして譲り渡すもので、誰でもそのまま使える定額の紙幣ではない。1726年(享保11年)に議会が税の納付に使うことを認めたことで、事実上のお金として広まっていく。

1745年(延享2年)、銀や銅との引き換えが廃止された。これと同時に、裏書きの要らない印刷された定額の銀行券の発行が始まる。1755年(宝暦5年)には、偽造を防ぐためストックホルム郊外のトゥンバに専用の製紙工場トゥンバ・ブルーク(Tumba Bruk)が設けられた。紙幣用の製紙工場としては世界最古で、現在は博物館になっている。

1866年(慶応2年)、身分制議会が廃止されて二院制の議会に移ったのにともない、名称が Sveriges Riksbank に改められた。改称の年を、新しい議会が開かれた1867年(慶応3年)とする資料もある。

1873年(明治6年)5月5日、スウェーデンはデンマークとともにスカンディナヴィア通貨同盟を結び、金本位制にもとづく共通の通貨単位クローナ/クローネを導入した。1875年(明治8年)にはノルウェーが加わる。同盟は第一次世界大戦のなかで事実上くずれ、1924年(大正13年)に正式に解消された。単位としてのスウェーデン・クローナは現在も使われている。

1897年(明治30年)のリクスバンク法により、銀行券を発行する独占的な権利がリクスバンクに与えられた。それまではエンシルダ銀行と呼ばれる民間の発券銀行が全部で26行あり、民間の銀行券が実際に姿を消して独占が発効するのは1904年(明治37年)である。

後世への影響

1694年(元禄7年)7月27日、イングランド銀行が国王ウィリアム3世の特許状を得て設立された。目的は、フランスとの大同盟戦争の戦費を調達することである。出資者が集めた120万ポンドを年利8パーセントで政府に貸し付け、その見返りに銀行を設立する特権と銀行券を発行する権利を得た。担保は金銀ではなく、船にかかるトン税と物品税だった。

リクスバンクが「発券を禁じられて出発した銀行」であるのに対し、イングランド銀行は「国にお金を貸すために作られ、最初から発券を認められた銀行」である。同じ中央銀行でも成り立ちは異なる。発券の独占という点では、イングランド銀行が1844年(天保14年)のピール銀行条例で先に到達しており、リクスバンクの1897年(明治30年)より半世紀早い。

1968年(昭和43年)、リクスバンクは創立300周年を記念してノーベル財団に寄付を行い、アルフレッド・ノーベル記念経済学スウェーデン国立銀行賞が創設された。日本ではノーベル経済学賞と呼ばれる。第1回の授与は1969年(昭和44年)で、経済の動きを数式のモデルで分析する方法を築いたラグナル・フリッシュヤン・ティンバーゲンが受賞した。ただしこの賞はアルフレッド・ノーベルの遺言にある5つの賞には含まれておらず、あとから加えられたものである。

参考サイト

参考書籍

表紙 金融の世界史――バブルと戦争と株式市場
著者 板谷 敏彦
出版社 新潮社
サイズ 全集・双書
発売日 2013年05月24日頃
価格 1,925円(税込)
ISBN 9784106037283
表紙 マネーの進化史
著者 ニーアル・ファーガソン/仙名 紀
出版社 早川書房
サイズ 文庫
発売日 2015年10月22日頃
価格 1,210円(税込)
ISBN 9784150504489
表紙 中央銀行が終わる日――ビットコインと通貨の未来
著者 岩村充
出版社 新潮社
サイズ 全集・双書
発売日 2016年03月25日頃
価格 1,540円(税込)
ISBN 9784106037825
表紙 中央銀行――セントラルバンカーの経験した39年
著者 白川方明
出版社 東洋経済新報社
サイズ 単行本
発売日 2018年10月12日頃
価格 4,950円(税込)
ISBN 9784492654859
表紙 北欧史(新版世界各国史21)
著者 百瀬宏
出版社 山川出版社(千代田区)
サイズ 全集・双書
発売日 1998年08月
価格 3,850円(税込)
ISBN 9784634415102

この時代の世界

1575 1625 1675 1725 1775 1600 1600 1600 1600 1700 1700 1700 1700 1657 ストックホルム銀行の設立 1668 スウェーデン国立銀行の開業 1611 1671 ヨハン・パルムストルク 1622 1660 カール10世グスタフ 1655 1697 カール11世 1694 イングランド銀行の設立 1666 万有引力の法則 1642 1727 ニュートン 1675 グリニッジ天文台の創設 1647 1719 ジョン・フラムスティード 1657 「月世界旅行記」の出版 1632 1704 ジョン・ロック 1646 1716 ライプニッツ 1651 「リヴァイアサン」の出版 1654 マクデブルクの半球 1649 ピューリタン革命 1688 名誉革命 1630 1685 チャールズ2世 1633 1701 ジェームズ2世 1662 1694 メアリー2世 1650 1702 ウィリアム3世 1638 1715 ルイ14世 1638 1683 マリー・テレーズ 1701 キャプテン・キッドの処刑 1645 1701 ウィリアム・キッド 1660 イングランド王政復古 1676 光速の計算 1644 1710 オーレ・レーマー 1684 ライプニッツの微積分法 1641 鎖国の完成 1654 玉川上水が完成 1657 明暦の大火 1641 1680 徳川家綱 1628 1700 徳川光圀 1642 1693 井原西鶴 1685 生類憐れみの令 1646 1709 徳川綱吉 1689 おくのほそ道 1644 1694 松尾芭蕉 1596 1680 後水尾天皇 1623 1696 明正天皇 1648 清の建国 1617 1682 ダライ・ラマ5世 1654 1722 康煕帝 1689 ネルチンスク条約 1645 ポタラ宮殿の建設 1689 ネルチンスク条約 1672 1725 ピョートル1世 1692 セイラム魔女裁判はじまる Tooltip
(この項おわり)
header