アル=アズハル大学
909年、シーア派の一派であるイスマーイール派の指導者ウバイドゥッラー・アル=マフディーは、北アフリカにファーティマ朝を建国した。預言者ムハンマドの娘ファーティマと第4代正統カリフのアリーの子孫を称し、自らをカリフであり、救世主を意味するマフディーであると宣言した。これによって、スンナ派のアッバース朝が持つカリフの権威を全面的に否定した。
イスマーイール派の宣教師アブー・アブドゥッラーは、北アフリカのベルベル人を組織してアグラブ朝を倒し、ウバイドゥッラー・アル=マフディーを指導者として迎えた。909年にファーティマ朝が成立し、翌910年、ウバイドゥッラーは正式にカリフを称した。首都は、のちにチュニジア沿岸のマーディアへ置かれた。

ファーティマ朝のカリフ宣言は、バグダードを都とするスンナ派のアッバース朝への正面からの挑戦であった。さらに929年、イベリア半島の後ウマイヤ朝もコルドバでカリフを称した。この結果、アッバース朝、ファーティマ朝、後ウマイヤ朝という3つのカリフ政権が同時に存在し、それぞれがイスラーム共同体の正統な指導者であると主張する時代を迎えた。

第4代カリフのムイッズはエジプト攻略を命じ、将軍ジャウハルが969年にこれを征服した。ジャウハルは新首都カイロ(アル=カーヒラ。「勝利の都」の意)の建設を始め、973年にムイッズが宮廷を移した。970年にはアズハル・モスクの建設が始まり、イスマーイール派の教学と布教の中心になった。のちにスンナ派の学術機関へ転じ、現在のアズハル大学へ発展した。

エジプトを支配したファーティマ朝は、紅海、ナイル川、地中海を結ぶ交通の要地を押さえた。カイロとアレクサンドリアには、インド洋方面の香辛料や絹、アフリカの金や象牙などが集まり、ビザンツ帝国やイタリア都市の商人との取引も盛んになった。従来のペルシア湾・イラク方面に加え、エジプト経由の東西交易路が大きく発展したのである。

11世紀前半の第8代ムスタンシルの時代は国力も充実していたが、後半に入るとシリアをセルジューク朝に奪われた。
11世紀末、セルジューク朝の分裂に乗じてエルサレムを占領したが、間もなく第1回十字軍の侵攻を受け、奪い取られてしまう。

1171年、スンナ派のアイユーブ朝に取って代わられる。
ファーティマ朝のカリフ宣言は、バグダードを都とするスンナ派のアッバース朝への正面からの挑戦であった。さらに929年、イベリア半島の後ウマイヤ朝もコルドバでカリフを称した。この結果、アッバース朝、ファーティマ朝、後ウマイヤ朝という3つのカリフ政権が同時に存在し、それぞれがイスラーム共同体の正統な指導者であると主張する時代を迎えた。
第4代カリフのムイッズはエジプト攻略を命じ、将軍ジャウハルが969年にこれを征服した。ジャウハルは新首都カイロ(アル=カーヒラ。「勝利の都」の意)の建設を始め、973年にムイッズが宮廷を移した。970年にはアズハル・モスクの建設が始まり、イスマーイール派の教学と布教の中心になった。のちにスンナ派の学術機関へ転じ、現在のアズハル大学へ発展した。
エジプトを支配したファーティマ朝は、紅海、ナイル川、地中海を結ぶ交通の要地を押さえた。カイロとアレクサンドリアには、インド洋方面の香辛料や絹、アフリカの金や象牙などが集まり、ビザンツ帝国やイタリア都市の商人との取引も盛んになった。従来のペルシア湾・イラク方面に加え、エジプト経由の東西交易路が大きく発展したのである。
11世紀前半の第8代ムスタンシルの時代は国力も充実していたが、後半に入るとシリアをセルジューク朝に奪われた。
11世紀末、セルジューク朝の分裂に乗じてエルサレムを占領したが、間もなく第1回十字軍の侵攻を受け、奪い取られてしまう。
1171年、スンナ派のアイユーブ朝に取って代わられる。
この時代の世界
参考サイト
- History and Continuity: Al-Azhar and Egypt:Cambridge University Press
- Fatimid Jewelry:The Metropolitan Museum of Art
- Al-Azhar Mosque—1086 years of knowledge and leadership:Al-Azhar Observatory
(この項おわり)
