アル=アズハル大学
ファーティマ朝の新首都カイロの象徴
アズハル・モスクの建設(イメージ)
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970年(安和3年)4月、この新首都の中心となる大モスクが着工した。「アズハル」は「輝かしいもの」という意味で、預言者ムハンマドの娘で王朝名の由来でもあるファーティマの尊称「アッ=ザフラー(輝ける者)」にちなむという説が広く知られている。
972年(天禄3年)6月22日、ラマダーン月の金曜日に最初の礼拝が行われ、モスクは完成した。973年(天禄4年)にはムイッズが北アフリカから宮廷を移し、カーヒラが正式な首都となった。
978年(貞元3年)、このモスクに付属する学院が開講した。イスマーイール派の教義を広めるための教育・布教の拠点であり、マドラサ(学院)としてはシーア派の系統に属していた。教えられたのはイスラーム法学、アラビア語学、神学だけではなく、天文学や論理学もふくまれていた。
972年(天禄3年)6月22日、ラマダーン月の金曜日に最初の礼拝が行われ、モスクは完成した。973年(天禄4年)にはムイッズが北アフリカから宮廷を移し、カーヒラが正式な首都となった。
978年(貞元3年)、このモスクに付属する学院が開講した。イスマーイール派の教義を広めるための教育・布教の拠点であり、マドラサ(学院)としてはシーア派の系統に属していた。教えられたのはイスラーム法学、アラビア語学、神学だけではなく、天文学や論理学もふくまれていた。
3人のカリフが並び立った10世紀
並立する3つのカリフ政権
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残るひとつは、イベリア半島の後ウマイヤ朝である。929年(延長7年)1月、アブド・アッラフマーン3世がコルドバでカリフを宣言した。こうしてスンナ派の2政権とシーア派の1政権が、それぞれイスラーム共同体の正統な指導者であると主張する時代を迎えた。
エジプトは地中海交易と紅海交易の十字路にあたり、インド洋方面の香辛料や絹、アフリカの金や象牙が集まった。ファーティマ朝はこの富を背景に、カイロをバグダードやコルドバと並ぶ学術・文化の中心都市へ育てた。

ただし、アズハル学院を「世界最古の大学」と呼ぶことについては注意が必要である。イスラーム世界の高等教育機関としては、859年(天安3年)にモロッコのフェスに建てられたカラウィーイーン大学の方が古い。また、マドラサという学校制度を体系として各地に広めたのは、1065年(康平8年)にセルジューク朝の宰相ニザーム・アルムルクが設立したニザーミーヤ学院とされる。アズハル学院は、そのどちらでもなく、最も古い高等教育機関のひとつと位置づけるのが正確である。
エジプトは地中海交易と紅海交易の十字路にあたり、インド洋方面の香辛料や絹、アフリカの金や象牙が集まった。ファーティマ朝はこの富を背景に、カイロをバグダードやコルドバと並ぶ学術・文化の中心都市へ育てた。
ただし、アズハル学院を「世界最古の大学」と呼ぶことについては注意が必要である。イスラーム世界の高等教育機関としては、859年(天安3年)にモロッコのフェスに建てられたカラウィーイーン大学の方が古い。また、マドラサという学校制度を体系として各地に広めたのは、1065年(康平8年)にセルジューク朝の宰相ニザーム・アルムルクが設立したニザーミーヤ学院とされる。アズハル学院は、そのどちらでもなく、最も古い高等教育機関のひとつと位置づけるのが正確である。
スンナ派最高学府への転換と現代
アズハルで学ぶ学生(イメージ)
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学院がよみがえるのは、次のマムルーク朝である。1266年(文永3年)1月16日、スルターンのバイバルスが約95年ぶりに金曜礼拝の説教を復活させた。以後、アズハルはスンナ派神学の正統性を明らかにすることに重点を置く学問の中心となり、オスマン帝国の支配下でも存続が認められた。

1961年(昭和36年)、ナセル政権下で高等教育省が設立されると、学院は改組されて総合大学となった。伝統的な3学部に加えて医学部・工学部・農学部と女子カレッジが新設され、以後は世俗教育も担うようになった。同じ年の法律により、最高指導者であるアズハル大導師(シャイフ・アル=アズハル)は大統領が任命することになった。

アズハル大導師と、ウラマー(イスラーム法学者)で構成される最高評議会が出す見解はファトワーと呼ばれ、世界中のスンナ派ムスリムに強い精神的・法的な影響力を持つ。アズハルはエジプト国内の6000を超える宗教機関を監督し、系列の学校で学ぶ生徒は約200万人にのぼる。
1961年(昭和36年)、ナセル政権下で高等教育省が設立されると、学院は改組されて総合大学となった。伝統的な3学部に加えて医学部・工学部・農学部と女子カレッジが新設され、以後は世俗教育も担うようになった。同じ年の法律により、最高指導者であるアズハル大導師(シャイフ・アル=アズハル)は大統領が任命することになった。
アズハル大導師と、ウラマー(イスラーム法学者)で構成される最高評議会が出す見解はファトワーと呼ばれ、世界中のスンナ派ムスリムに強い精神的・法的な影響力を持つ。アズハルはエジプト国内の6000を超える宗教機関を監督し、系列の学校で学ぶ生徒は約200万人にのぼる。
参考サイト
- アル=アズハル:公式サイト
- アズハル学院:世界史の窓
- アズハル大学:コトバンク
- al-Azhar University:Encyclopaedia Britannica
- Al-Azhar Mosque—1086 years of knowledge and leadership:Al-Azhar Observatory
- History and Continuity: Al-Azhar and Egypt:Cambridge University Press
- 西暦909年 - ファーティマ朝が成立:ぱふぅ家のホームページ
- 西暦1010年 - 『シャー・ナーメ』完成:ぱふぅ家のホームページ
- 西暦1038年 - セルジューク朝の建国:ぱふぅ家のホームページ
この時代の世界
(この項おわり)

イスラーム神学・法学を研究する場で、イスラーム圏各地から学生が集まり、出身地別の宿坊で質素に暮らしながら研究を続けたという。現在はアル=アズハル大学として、スンナ派最高の学府とされる。