西暦1958年 - 東京タワー開業

高度成長期の象徴
東京タワー
芝公園から見上げた東京タワー
1958年(昭和33年)12月23日、東京タワー(東京都港区芝公園4-2-8)が完工式を迎え、正式な営業を開始した。
東京タワーは、フランス・パリのエッフェル塔を模した赤色と白色を交互に塗装した高さ333メートルの電波塔である。開業当時のエッフェル塔は、1957年(昭和32年)にテレビアンテナを増設して320.75メートルになっていたので、東京タワーは自立式鉄塔として世界一の高さとなった。

2009年(平成21年)5月8日、20年ぶりに公式ロゴを変更した。新しいロゴは、地球環境への貢献や自然との共存をイメージしているという。

目次

東京タワーのあらまし

東京タワーの正式名称は「日本電波塔」という。建築構造学者・内藤多仲(1886~1970)と日建設計株式会社が共同で設計した。
重さは約4,000トンで、約7,000トンのエッフェル塔よりも大幅に軽い。朝鮮戦争で使用されスクラップになった戦車の一部が塔の鉄に使われている。

1958年(昭和33年)10月14日に完工、12月7日から公開を開始した。12月23日に完工式が行われ、正式な営業を開始した。

地上150メートルの高さに2階建てのメインデッキ(旧・大展望台)が、地上250メートルの高さにトップデッキ(旧・特別展望台)がある。この日は雨交じりの天気だったのだが、トップデッキからは東京が一望できた。天気が良ければ、富士山や房総半島も見えるだろう。

東京タワーには、放送電波を送信するアンテナのほか、大地震時のJRの列車停止信号を発信するアンテナ、公害調査のための風向風速計、温度計なども取り付けられている。
地上デジタル放送の送信は、2013年(平成25年)5月に東京スカイツリーへ引き継がれた。

電波塔の乱立を解く

1950年代の東京に林立するテレビ送信塔
各局が個別に建てた送信塔
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1953年(昭和28年)にテレビの本放送が始まると、NHK東京、日本テレビ、ラジオ東京テレビ(現:TBSテレビ)が、紀尾井町、二番町、赤坂にそれぞれ自前の送信塔を建てた。高さは150~180メートルほどで、電波は半径70キロメートルほどしか届かず、100キロ離れた銚子や水戸では満足に受信できなかった。視聴者は局を変えるたびに受信アンテナの向きを調整する必要があり、都心に鉄塔が乱立する景観も問題視された。
郵政省電波監理局長の浜田成徳は、各局の送信機能を1本にまとめる総合電波塔を提唱する。この構想に、産業経済新聞社を興した前田久吉と、ニッポン放送の鹿内信隆がそれぞれ着目し、まもなく両者の計画は一元化された。1957年(昭和32年)5月、前田を中心に資本金5億円の日本電波塔株式会社が設立される。国の事業ではなく、民間企業の手による建設だった。

塔の高さ333メートルは、先端のアンテナの揺れを放送に支障のない範囲に抑えながら、関東地方全域へ電波を届けられるぎりぎりの寸法として決められた。NHKとラジオ東京テレビは1960年(昭和35年)1月に、日本テレビは1970年(昭和45年)11月に、送信を東京タワーへ移している。

543日の突貫工事

熱したリベットを投げ渡す鳶職
「死のキャッチボール」と呼ばれたリベット接合
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設計は建築構造学者の内藤多仲日建設計、施工は竹中工務店が担った。1957年(昭和32年)6月29日に基礎工事が、9月21日に鉄骨の組み立てが始まり、1958年(昭和33年)12月23日の完工式まで543日、約1年半という短い工期だった。上部まで届く大型クレーンのない時代であり、長さ63メートルのガイデリックと呼ぶ起重機を塔の内側でせり上げながら、鉄骨を吊り上げていった。
高さ141メートルまではリベット接合である。約800度に熱したリベットを地上から投げ上げ、上の職人が柄の付いた鉄バケツで受け取って穴に差し込む。「死のキャッチボール」と呼ばれたこの作業で、16万8千本のリベットが打たれた。鳶職は多いときで常時60人。ヘルメットも命綱もなく、幅30センチほどの足場で働いた。工事にあたった作業員は延べ21万9,335人にのぼる。1958年(昭和33年)6月30日には、強風にあおられた31歳の鳶職1人が高さ61メートルから転落して亡くなっている。総工費は28億円とも30億円ともいわれる。

鋼材の確保にも工夫があった。展望台より上の細い部材には、朝鮮戦争で使われて廃車になった米軍戦車、M4中戦車(シャーマン)とM47パットンおよそ90両分のスクラップが再利用されている。安く手に入るからではなく、戦車の鋼には焼きが入っていて品質がよかったというのが当時の関係者の証言である。ただしこの話は解体業者らの回想にもとづくもので、使われた部位も、大展望台より上とする資料と特別展望台より上とする資料がある。

内藤多仲は、最上部で風速90メートル毎秒、下部で風速60メートル毎秒の強風と大地震に見舞われても安全なように設計したと伝えられる。設計図は約1万枚、設計にかかった期間は3か月だった。コンピュータのない時代であり、内藤は恩師から贈られた計算尺を生涯手放さなかったという。

高度成長の入口で

白黒テレビを囲む昭和30年代の家族
「三種の神器」のひとつだった白黒テレビ
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1956年度の『経済白書』は、結語で「もはや戦後ではない」と述べた。繁栄の宣言と受け取られて流行語になったが、本来は、戦後復興による回復の勢いは使い切った、今後の成長は近代化によって支えるほかないという警句だった。実質経済成長率は1956年度6.8%、1957年度8.1%と高い水準にあったが、1957年(昭和32年)7月からは国際収支の悪化を受けた金融引き締めで「なべ底不況」に入る。
景気の谷は1958年(昭和33年)6月で、東京タワーが開業した同年12月は、42か月続く岩戸景気の入口にあたっていた。成長率が10%を超えるのは1959年度(11.2%)からである。家庭では白黒テレビ・電気洗濯機・電気冷蔵庫が「三種の神器」と呼ばれ、あこがれの的だった。

NHKのテレビ受信契約は、1953年(昭和28年)の本放送開始初日にはわずか866件だったが、1959年(昭和34年)4月10日の皇太子(上皇)ご成婚パレードを前に200万件を突破する。関東一円へ安定して電波を送る東京タワーの完成は、この普及を支える土台となった。1964年(昭和39年)東京オリンピックに向けて首都高速道路や東海道新幹線の建設も進み、東京の姿は大きく変わっていく。

タワー六兄弟

続柄名称所在地竣工・開業高さ
長男名古屋テレビ塔
(現:中部電力 MIRAI TOWER)
名古屋市中区1954年6月20日180メートル
次男通天閣(2代目)大阪市浪速区1956年10月28日103メートル
三男別府タワー大分県別府市1957年5月10日100メートル
四男さっぽろテレビ塔札幌市中央区1957年8月24日144メートル
五男東京タワー東京都港区1958年12月23日333メートル
六男博多ポートタワー福岡市博多区1964年10月17日100メートル
内藤多仲が設計した全国の自立式鉄塔のうち代表的な6基は、竣工順に「タワー六兄弟」と呼ばれている。東京タワーは五男にあたる。内藤は早稲田大学で教鞭を執り、耐震壁による耐震構造理論を確立して「耐震構造の父」と呼ばれた。戦後は70基あまりの鉄塔を手がけ、「塔博士」の異名をとっている。
高さは各塔の公式資料が示す値である。通天閣は1956年(昭和31年)の完成当時は約103メートルで、避雷針を含めると現在108メートルである。さっぽろテレビ塔は、文化庁の登録有形文化財の記録では総高144メートル、完成時は147.2メートルだった。別府タワーはアンテナを外して90メートルになっていたが、2023年(令和5年)に完成時の100メートルへ復元された。なお「タワー六兄弟」は通称であり、名づけた人物や初出は確認できていない。

戦後日本の象徴として

東京タワーと東京スカイツリー
電波塔の役割はスカイツリーへ引き継がれた
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敗戦から13年で、当時世界一の高さを持つ自立式鉄塔を建てたことは、日本が復興を成し遂げたことを内外に示す出来事となった。東京タワーは映画や小説、アニメの中で「東京」を表す記号として定着していく。展望台と商業施設を組み合わせた形も、その後の観光タワーや超高層ビルの手本になった。
放送塔としての役目は、都心の高層ビル化にともなって東京スカイツリーへ引き継がれた。2013年(平成25年)5月31日に地上デジタル放送7局の送信所がスカイツリーへ移り、放送大学が地上波を終える2018年(平成30年)9月30日をもって、東京タワーからのテレビ放送は約60年で幕を閉じた。現在もNHKと民放キー局の予備送信所として備えられ、エフエム東京やInterFM897のFM送信所でもある。

2018年(平成30年)3月3日、大展望台は「メインデッキ」、特別展望台は「トップデッキ」に改称された。高さ333メートルにちなみ、平成30年3月3日に合わせた日付である。

この時代の世界

1875 1925 1975 2025 1900 1900 1900 1900 1900 1900 2000 2000 2000 2000 2000 2000 1958 東京タワー開業 1886 1970 内藤多仲 1893 1986 前田久吉 1954 名古屋テレビ塔の完成 1958 チキンラーメン発売 1955 自由民主党の結成 1963 「上を向いて歩こう」がアメリカで大ヒット 1941 1985 坂本九 1964 東海道新幹線が営業開始 1964 東京オリンピックの開催 1966 「ウルトラマン」放映開始 1901 1970 円谷英二 1970 大阪万博の開催 1970 人工衛星「おおすみ」打ち上げ 1899 1965 池田勇人 1901 1975 佐藤栄作 1878 1967 吉田茂 1899 1972 川端康成 1967 ツイッギー来日 1968 三億円事件 1970 三島由紀夫が割腹自殺 1970 よど号ハイジャック事件 2012 東京スカイツリー開業 1950 1953 朝鮮戦争 1966 1976 文化大革命 1893 1976 毛沢東 1898 1976 周恩来 1898 1969 劉少奇 1907 1971 林彪 1967 愛新覚羅溥儀が死去 1906 1967 愛新覚羅溥儀 1964 宇宙背景輻射の発見 1969 人類、月に立つ 1962 キューバ危機 1917 1963 ケネディ 1963 ケネディ大統領暗殺 1965 1975 ベトナム戦争 1954 ビキニ水爆実験 1908 1973 ジョンソン 1971 インテル、4004発表 1973 ウォーターゲート事件 1974 「アルテア8800」発売 1946 1954 第一次インドシナ戦争 1948 ベルリン封鎖 1946 ユネスコが発足 1945 国際連合が発足 1939 1945 第二次世界大戦 1962 ベルリンの壁建設 1965 1975 ベトナム戦争 1946 1954 第一次インドシナ戦争 1890 1969 ホー・チ・ミン 1961 人類初の有人宇宙飛行 1934 1968 ユーリ・ガガーリン 1963 女性初の宇宙飛行士 1957 世界初の人工衛星 1894 1971 フルシチョフ 1906 1982 ブレジネフ 1911 1985 チェルネンコ 1914 1984 アンドロポフ 1939 1945 第二次世界大戦 1960 アフリカの年 1892 1975 ハイレ・セラシエ1世 1918 1970 ナセル 1959 キューバ革命 1928 1967 ゲバラ Tooltip

交通アクセス

【鉄道】
  • 都営地下鉄大江戸線「赤羽橋駅」赤羽橋口から徒歩5分
  • 東京メトロ日比谷線「神谷町駅」1番出口から徒歩7分
  • 都営地下鉄・三田線「御成門駅」A1出口から徒歩6分
  • 都営地下鉄・浅草線「大門駅」A6出口から徒歩10分
  • JR「浜松町駅」北口から徒歩15分

参考サイト

参考書籍

表紙 東京タワー50年 戦後日本人の“熱き思い”を
著者 鮫島敦/日本電波塔株式会社
出版社 日経BPM(日本経済新聞出版本部)
サイズ 文庫
発売日 2008年12月
価格 990円(税込)
ISBN 9784532194734
創設者・前田久吉の巨大電波塔計画、鳶職たちが命をかけた世紀の大工事、起死回生のライトアップー。50周年を迎える東京タワー、その裏方たちの物語を開業当時からの貴重な写真・資料とともに伝えるノンフィクション。
 
表紙 東京タワー99の謎
著者 東京電波塔研究会
出版社 二見書房
サイズ 文庫
発売日 2006年08月
価格 660円(税込)
ISBN 9784576061177
最初の予定は380mだった?/戦車の鉄でできている?/東京タワーが怪獣を倒した!?/上野公園も建築候補地だった/名前は「昭和塔」の可能性もあった/画期的な耐震構造のヒミツ/展望台で結婚式を挙げた唯一のカップルは?/電波塔以外の意外な役割は?…意外かつ面白いネタを満載した本邦初の東京タワー本。
 
表紙 東京タワーは曲がっていなかった
著者 豊島光夫
出版社 文芸社
サイズ 単行本
発売日 2005年03月
価格 1,540円(税込)
ISBN 9784835587219
建築って、実はトリビアの宝庫だった。読んでビックリ、ヘェ〜っと納得、建築おもしろ話を大公開。東京都建築局、東急建設、東京工大講師を歴任した著者による建築マル秘読本。
 
(この項おわり)
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