西暦439年 - 南北朝時代(中国)はじまる

北魏の華北統一から、随による中国再統一まで
南北朝時代(中国)年表
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鮮卑族が386年に建国した北魏 (ほくぎ) は、439年に華北を統一し、五胡十六国時代 (ごこじゅうろっこくじだい) を終焉させた。
歴代の皇帝は仏教を篤く信奉し、5世紀末から6世紀初めには雲崗や龍門といった巨大な石窟寺院が開かれ、唐代と並ぶ中国仏教の最盛期を迎えた。
534年に東魏と西魏に分裂し、北魏は滅亡する。
その後、華北では、北斉、北周と王朝が交代する。北魏を含めて北朝と呼ぶ。

同じ時期の華南では、宋、斉、梁、陳の4つの王朝が興亡した。これらを南朝と呼ぶ。
これらは晋の流れをくむ王朝で、貴族文化が花開いた。

589年に隋が中国を再統一するまでを南北朝時代と呼ぶ。
陰惨な闘争が頻発する時代だが、均田制や府兵制といった、後の隋唐帝国の根幹をなす制度が生まれた。

南北朝時代の始まり

北魏の太武帝拓跋燾 (たくばつとう) )は、五胡十六国期最後の政権であった北涼を439年に滅ぼし、華北統一を成し遂げた。約130年続いた分裂状態が終わり、南北朝という新たな対立構造が始まった。

北魏の孝文帝は494年に都を平城 (へいじょう) から洛陽 (らくよう) へ移し、鮮卑族に漢族の服装や言語を採用させる漢化政策を断行した。急激な改革は保守的な軍閥の反発を招き、六鎮の乱を経て北魏が東西に分裂する遠因となった。

南北朝時代の終わり

隋を建てた楊堅(文帝)は、581年に北周から禅譲を受けて即位し、589年に南朝最後の陳を滅ぼして中国を統一した。子の煬帝は大運河の建設など大事業を進めたが、重税と圧政は隋の短命化を招いた。

この時代の世界

275 375 475 575 300 300 400 400 500 500 600 600 439 南北朝時代(中国)はじまる 304 439 五胡十六国時代 344 405 顧愷之 337 422 法顕 356 422 劉裕 365 448 寇謙之 589 隋による中国統一 541 604 陽堅→文帝 569 618 煬帝 418 479 雄略天皇 507 継体天皇が即位 450 531 継体天皇 538 仏教伝来 370 414 チャンドラグプタ2世 347 395 テオドシウス1世 375 ゲルマン民族の大移動はじまる 354 430 アウグスティヌス 395 ローマ帝国の分裂 381 451 ネストリウス 406 453 アッティラ 451 カタラウヌムの戦い 434 493 オドアケル 486 フランク王国の建国 466 511 クロヴィス1世 Tooltip
(この項おわり)
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