西暦486年 - フランク王国の建国

クロヴィスがローマ軍を破る
クロヴィス1世
クロヴィス1世
AI生成コンテンツ / AI-generated contents
フランク王国は西ヨーロッパを支配したゲルマン系の王国である。
486年、ソワソンの戦いでサリ族のクロヴィスがローマ軍を破り、フランク王国を建国。メロヴィング朝がはじまる。

その後、分裂と統一を繰り返すが、751年(天平勝宝3年)、ピピンによってカロリング朝へ移行する。

建国までの経緯

476年に西ローマ帝国が滅亡した後も、ガリア北部には将軍アエギディウスの子シアグリウスがソワソンを拠点に独自の支配を維持していた。481年、15歳で父キルデリク1世の跡を継ぎサリ族の王となったクロヴィスは勢力を拡大し、486年、ソワソンの戦いでシアグリウス軍を撃破した。シアグリウスは西ゴート族の元へ逃れたが引き渡され、後に処刑された。こうしてクロヴィスはロワール川以北の旧ローマ領を掌握し、フランク王国建国の礎を築いた。

クロヴィス1世の治世

クロヴィス1世は有能だが非情な人物で、目的のためには親族や他部族の首長も次々と粛清 (しゅくせい) し、フランク族を統一した。496年頃にはアラマンニ族をトルビアックの戦いで破り、507年にはヴイエの戦いで西ゴート族を撃破してアキテーヌ地方を獲得した。統治機構を整え、ゲルマン法の一つであるサリカ法典を制定するなど法整備にも尽力した。その功績から、クロヴィス1世は現在のフランスの最初の王とみなされている。

メロヴィング朝とキリスト教

クロヴィスが開いたメロヴィング朝は、祖父メロヴィスの名に由来する。当時、西ゴート族やヴァンダル族など周辺のゲルマン諸族は異端とされるアリウス派キリスト教を信仰していたが、フランク人は多神教のままだった。496年、カトリック教徒の妻クロティルドの勧めで家臣4千人と共にアタナシウス派(カトリック)に改宗した。これはゲルマン諸王で初のカトリック改宗となり、旧ローマ系住民の支持獲得につながった。

参考サイト

この時代の世界

325 375 425 475 525 575 400 400 500 500 486 フランク王国の建国 466 511 クロヴィス1世 395 ローマ帝国の分裂 406 453 アッティラ 451 カタラウヌムの戦い 476 西ローマ帝国が滅亡 434 493 オドアケル 460 536 ロムルス・アウグストゥルス 381 コンスタンティノープル公会議 381 451 ネストリウス 381 451 ネストリウス 482 565 ユスティニアヌス1世 500 548 テオドラ 418 479 雄略天皇 507 継体天皇が即位 450 531 継体天皇 538 仏教伝来 509 571 欽明天皇 540 570 蘇我稲目 439 南北朝時代(中国)はじまる 365 448 寇謙之 525 ナスカの地上絵 Tooltip
(この項おわり)
header