西暦538年 - 仏教伝来

蘇我氏が仏教保護
飛鳥大仏 - 安居院(飛鳥寺)
飛鳥大仏 - 安居院(飛鳥寺)
538年、百済の聖明王の使いで訪れた使者が欽明天皇 (きんめいてんのう) に金銅の釈迦如来像や経典、仏具などを献上した。
だが、仏教を信奉する蘇我氏 (そがし) と、氏族の祭祀を担う物部氏 (もののべし) の対立が深まり、587年、物部氏は蘇我氏に滅ぼされる。

594年、推古天皇 (すいこてんのう) の時代に「仏教興隆の (みことのり) 」が出され、各地で寺院建設がはじまるようになる。

目次

仏教伝来以前の宗教と蘇我氏・物部氏の対立

物部守屋(イメージ)
物部守屋(イメージ)
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仏教伝来以前の日本では、自然物や祖先の霊を祀る土着の神々への信仰が氏族ごとに営まれていた。渡来系の文化や技術に通じていた蘇我氏 (そがし) は仏教の受容に前向きだったが、代々朝廷の祭祀を司ってきた物部氏 (もののべし) は、外国の神を祀れば国津神の怒りを招くとして強く反対した。両氏の対立は宗教観の違いだけでなく、朝廷内の主導権争いという性格も帯びていた。

百済と日本の関係

西暦550年頃の朝鮮半島
西暦550年頃の朝鮮半島
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朝鮮半島の百済 (くだら) は、高句麗や新羅との抗争のなかで倭(日本)と同盟関係を結び、たびたび軍事的な支援を受けていた。538年(一説に552年)、百済の聖明王 (せいめいおう) が欽明天皇に仏像や経典を献上したのは、高句麗・新羅との戦いに備えて倭からの軍事援助を引き出す狙いがあったとされる。仏教という先進文化の提供は、百済にとって倭との関係を強化する外交手段でもあった。

丁未の乱

蘇我馬子(イメージ)
蘇我馬子(イメージ)
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仏教の受容をめぐる対立は、587年の武力衝突「丁未の乱 (ていびのらん) 」で決着した。用明天皇の崩御後、皇位継承問題も絡んで蘇我馬子 (そがのうまこ) 物部守屋 (もののべのもりや) が激突し、馬子は聖徳太子 (しょうとくたいし) ら皇族・諸豪族の軍を率いて守屋の館を攻めた。守屋が討ち取られると物部氏の宗家は滅亡し、以後、蘇我氏が朝廷の実権を握ることとなった。

蘇我氏と推古天皇

推古天皇(イメージ)
推古天皇(イメージ)
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丁未の乱後、蘇我馬子は崇峻天皇 (すしゅんてんのう) を擁立したが、やがて対立し592年に暗殺させるという事態に至った。その後即位したのが馬子の姪にあたる推古天皇である。推古天皇は日本史上初の女性天皇であり、馬子は外戚として引き続き大臣の地位にとどまり、敏達・用明・崇峻・推古の4代にわたり55年間も朝廷の実権を握り続けた。

推古天皇と聖徳太子

聖徳太子(イメージ)
聖徳太子(イメージ)
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593年、推古天皇は甥にあたる聖徳太子を皇太子 (こうたいし) 兼摂政に立て、蘇我馬子とともに政治を担わせた。聖徳太子は603年に冠位十二階 (かんいじゅうにかい) 、604年に十七条憲法 (じゅうななじょうけんぽう) を定めて中央集権的な国家体制の基礎を築くとともに、遣隋使を派遣して中国の進んだ制度や文化の導入を進めた。

仏教の定着

仏教興隆の詔を受け、蘇我馬子が発願 (ほつがん) した日本最古の本格的寺院飛鳥寺 (あすかでら) (法興寺)が596年に完成し、606年には本尊の飛鳥大仏 (あすかだいぶつ) が安置された。聖徳太子も四天王寺 (してんのうじ) 法隆寺 (ほうりゅうじ) を建立するなど、寺院建設は各地の豪族にも広がり、仏教は貴族層を中心に日本社会へ急速に定着していった。

参考サイト

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