西暦793年 - ヴァイキングがイングランドへ侵入

スカンジナビア半島に暮らす農民や漁民
ヴァイキング船
ヴァイキング船
793年(延暦12年)6月8日、北部イングランドのリンデスファーン修道院を襲ったことで、ヴァイキングの活動が初めて歴史の表舞台に現れた。毎年6月8日は「ヴァイキングの日」となっている。

ヴァイキングは海賊行為を生業とする民族ではなく、スカンジナビア半島に暮らす農民や漁民である。とくに手工業に秀でていた。デーン人とも呼ばれる。
当初は、季節の終わりにはスカンジナビア半島へ戻っていた。だが、9世紀半ばからは西ヨーロッパに越冬地を設営して、さらなる略奪作戦のための基地とするようになる。

目次

ヴァイキングの定義

ヴァイキングの定義
ヴァイキングの定義
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「ヴァイキング」という呼称は、古ノルド語の「ヴィーク(入り江、フィヨルド)」に由来するとされ、原義は「入り江の人々」である。当初は海上遠征に出る行為そのものを指す言葉であったが、後の研究により、ヴァイキング時代(800年-1050年)にスカンジナビア半島とバルト海沿岸に住んでいた人々全体を指す呼称として用いられるようになった。角のある兜をかぶった海賊という一般的なイメージは後世の創作によるものであり、当時の遺跡からはそのような兜は出土していない。

ヴァイキングの歴史

リンデスファーン修道院襲撃(イメージ)
リンデスファーン修道院襲撃(イメージ)
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ヴァイキングの活動は8世紀末から本格化した。793年(延暦12年)には北部イングランドのリンデスファーン修道院が襲撃され、795年(延暦14年)にはアイオナ修道院も略奪された。834年(天長11年)にはフランク王国沿岸のドレスタットが、843年(承和10年)にはロワール川河口のナントが襲撃され、845年(承和12年)にはパリが包囲された。9世紀半ば以降は西ヨーロッパ各地に越冬地を設営するようになり、これが後の定住地に発展していく。9世紀後半になると略奪よりも定住の傾向が強まり、13世紀までにはヴァイキングとしての性格を失い、各地の住民に同化していった。

構成民族

ヴァイキングは単一の民族名ではなく、デンマーク・ノルウェー・スウェーデンの3方面出身者の総称である。デンマーク方面出身者はデーン人、ノルウェー方面出身者はノース人と呼ばれ、主に西方の北海方面へ進出した。スウェーデン方面出身者はスヴェア人と呼ばれ、東方のバルト海沿岸や東スラヴ地域へ進出し、ヴァリャーグと呼ばれた。

文化、民俗、神話

オーディンとトール
オーディンとトール
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ヴァイキングは北欧神話を信仰し、最高神とされるオーディンや雷神トールを崇めた。上流階級はオーディンを、農民階級や自由市民はトールを好んで信仰する傾向があったとされる。秋・真冬・春の年3回、地域首長が司祭を務める祭宴が催された。
文字にはルーン文字を用い、木片や石碑に祈願や記録を刻んだ。口承文学としてサガエッダが伝えられ、13世紀に文字として編纂された。
社会にはシングと呼ばれる民会があり、法や紛争解決が話し合われた。930年(延長8年)にはアイスランド各地のシング代表が集結し、全島議会アルシングが開催され、以降毎年開かれるようになった。1000年(長保2年)前後からキリスト教化が進んだが、改宗後も土着の神への信仰は各地に長く残った。

航海技術、貿易、略奪、開拓

ヴァイキング船(イメージ)
ヴァイキング船(イメージ)
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ヴァイキングはロングシップと呼ばれる喫水の浅い細長い船を操り、外洋では帆走、河川では漕走が可能であった。この航海技術により、ブリテン諸島や大陸沿岸、バルト海、ロシアの河川、地中海、北大西洋まで活動範囲を広げた。略奪だけでなく通商・貿易も生業としており、ユトランド半島のヘーゼビューやスウェーデンのビルカを拠点に、西アジアや東ローマ帝国とも交易した。
開拓面では、9世紀にフェロー諸島とアイスランドへ入植し、985年(永観3年)には赤毛のエイリークがグリーンランドへ入植した。その息子レイフ・エリクソンは1000年(長保2年)頃に北アメリカ沿岸のヴィンランドへ到達している。

フランス、イギリス、ロシアなどへの影響

ロロ王(イメージ)
ロロ王(イメージ)
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フランスでは、911年(延喜11年)に首長ロロがセーヌ川流域の領有を認められ、ノルマンディー公国が成立した。その子孫であるウィリアム1世は1066年(治暦2年)にイングランドへ侵攻し(ノルマン・コンクエスト)、ノルマン朝を開いた。イギリスでは、9世紀にデーン人がイングランドへ侵入を繰り返し、878年(元慶2年)のウェドモーアの和議によって北東部がデーンロウとしてデーン人の統治下に置かれた。
ロシア方面では、リューリクが862年(貞観4年)にノヴゴロド公国を建国したと伝えられ、その後を継いだオレグが882年(元慶6年)にキエフを占領してキエフ大公国の基盤を築いた。この地に進出したヴァイキングはヴァリャーグと呼ばれ、ロシアの国家形成に関わったとされる。

この時代の世界

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